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熊本地震ボランティア活動 11月25日
【投稿日:2018年01月13日|カテゴリ:お知らせ】
11月26日、熊本地震のボランティアに行ってまいりました。
益城町の小池.島田地区の被災地の近況としては仮設住宅に入居させて一年が経過し、すでに復興住宅建設に向けての話し合いが行われているところです。
今までのコミュニティが確保されていくようにリーダーの宮永さんが奮闘されていますが、サポートする人はさらに必要かと感じます。
住民の知恵と行動力で行政や企業まで動かし、新しい地域社会の構想を目指している姿に、お伺いする度にパワーをいただいています。
高齢者世帯や独り暮らしの方も多く、食事や栄養のことが心配という話しもありました。
お念珠作りの最後に「なんまんだぶつの子守唄」を歌詞を配って、メンバーのリードでみんなで歌ったのですが、何よりのお土産をいただいた‼と喜ばれていたことがとても印象的でした。
地域の方々は子供たちも皆、温かく、誠実な方たちです
福島県二本松市での活動 10月26日
【投稿日:2018年01月13日|カテゴリ:お知らせ】
10月26日、福島県二本松市。
同朋幼稚園にて、お昼にラーメンを提供しました。
子供達はいつも楽しみにしていてくれてます。
東日本大震災から6年が経過しましたが、原発問題は継続中です。
これからも関わり続けて行きます。
「忘れない」
石巻市ボランティア活動 9月5~6日
【投稿日:2018年01月13日|カテゴリ:お知らせ】
9月 5日 石巻市雄勝町 森林公園仮設団地にて炊き出しの活動を行いました。
こちらの仮設団地は今年の12月に解散をされるそうですが、復興住宅、自立再建をされるかたは、あと一年以上はこちらに残るかたもいるようで
「また、来て下さいね。」
「おいしいラーメンありがとう🍜」
「また、待ってますよ」
と、うれしい声が聞こえました
復興住宅、自立再建、どちらも家を建てる事が厳しい状態のようです
短い時間でしたが、私達の知らないお話しを聞き地元の現実を知りました
今、私達に出来る事は…
翌日6日 石巻市 飯野川仮設団地にての活動です。
以前は子供たちの声が聞こえる所でしたが、今は、小学生が1人中学生、高校生が数名との事。
中学生のシャツの背中に書かれた言葉に写真を撮らせてもらいました。駅伝大会があり、そのシャツだそうです
こちらの仮設団地も来月には3軒の家族が新居に引越しされるそうです
「いつもありがとうございます。来月引越します、今までありがとうございました。」
と、うれしそうに話された方がいました。
これから復興住宅を建てる方、自分達で家を建てる方、
まだまだ復興の道は遠いようです。
石巻市雄勝での活動(7月20日)
【投稿日:2017年07月23日|カテゴリ:お知らせ】
2017年7月20日、今回は「石巻市立大須(おおす)中学校」での炊き出しに行ってまいりました。
ボランティアネットメンバー3名、仙台仏教青年会5名、計8名による活動となりました。
ちょうどこの日は、1学期の終業式と【閉校式】が行われる日でした。
この大須中学校は現在、「雄勝小学校」と「大須小学校」、「雄勝中学校」と「大須中学校」が合併して作られた、新しい「雄勝小学校」「雄勝中学校」の児童が集まっています。
旧「雄勝中学校」「雄勝小学校」は、3.11の大津波によって壊滅的な被害を受け、そこの児童もほかの校舎を間借りしたり、仮校舎を使ったりした活動が続けられていました。
私達ボランティアネットは、雄勝小中の児童が「石巻北高校 飯野川校」の校舎の一部を間借りしているとき、よく炊き出しに訪れました。
その縁もあり、今回の大須中学校での活動となったのです。
大須中学校の校舎は、7月31日をもって閉鎖されますが、数キロ離れたところに新校舎「雄勝小学校・中学校」が建設されており、8月からは4校の教育業務もそちらに移転されることとなるそうです。
6年もの長い仮住まいだった雄勝小学校・中学校も、ついに新しい校舎のもと、新しい第一歩を踏み出すこととなります。
新しい校舎に移っても、苦しい時代を忘れることなく、学業に勤めてほしい。
そんな願いを込めた活動となりました。
『NPO活動報告 2016年』前編&後編
【投稿日:2017年03月16日|カテゴリ:お知らせ】
2016年における「NPO法人 災害ボランティアネット』の活動をまとめた報告書が、完成しました。
内容が多いため、『前編』『後編』の二部構成となっております。
2016-07災害ボランティアネット通信2016年版《前編》(PDFファイル)
2016-07災害ボランティアネット通信2016年版《後編》(PDFファイル)
また本サイトの『活動記録』のページより、過去の活動記録が閲覧できます。
どうぞご利用ください。
2016年最終活動報告
【投稿日:2017年01月01日|カテゴリ:お知らせ】
12月13日石巻市雄勝町水浜「漁村センター」にて交流会
14日石巻市飯野川仮設住宅集会場にて交流会
この時期浜では牡蠣の水揚げ、ホタテの養殖作業におわれ、皆さん頑張っています。
雄勝町では多くの住民は町外に離散してしい、雄勝に戻るのは1割強だそうです。
それぞれの人生の選択があります。
被災地では、震災、津波で多くのものを失いました。
しかしその悲しみから一歩づつ歩みを続け、震災から学んだことを発信し、
震災が風化されないよう、2017年も活動を続けていきます。
熊本での活動報告(7月19日)
【投稿日:2016年07月29日|カテゴリ:お知らせ】
7月19日(火)、御船のスポーツセンターに行ってきました。
大牟田を8:30に出発して、10:00から15:00まで「御抹茶と小物づくり」
の企画で御船の皆さんと 過ごしてきました。
場所はセンター内のコミュニティスペースで、
対象者は20から30人ぐらいということでしたが、
御抹茶40杯、小物づくりにも20人以上の方が参加されてあっという間の5時間でした。
他に冷やし甘酒や煎茶等も用意しましたが、何れもとても喜んでいただいたという印象です。
29日も同じ企画で行う予定です。
暑さも厳しくなり辛い季節ですが、力を合わせて乗り切りたいと思います!
東北支援活動(2016年7月)
【投稿日:2016年07月29日|カテゴリ:お知らせ】
2016年7月13日(水)~15日(金)に、宮城県石巻市で支援活動を行ってまいりました。
雄勝町水浜地区「水浜漁村センター」と、北高飯野川校グラウンドでの活動でしたが、様々なお話を聞くこともできました。
【水浜地区】
・仮設の生活にも慣れたし、ご近所さんも沢山出来たと思ってたけど、家が出来て、元々の村の人とまたご近所さんになったら、離れてた数年間が嘘のように、何も気を使わず、言いたい事をそのまま言える関係がすぐ再開できた。
・仮設だと、隣の人の音が嫌とゆーほど聞こえたけど、一軒家に戻ったらとても静かに暮らせる。
・海が怖い、嫌いになったとゆー人も中には居るけど、私に海が見られずに生活していた時間は淋しかった。やっと海を見ながら暮らせる。
・本当に長かった。
・やっとこれで、元の生活をスタートさせる第一歩が踏み出せたけど、100世帯(あやふやです😱😱)程が水浜から出ていってしまって、すぐ高齢化社会になってしまうから、不安もある。
【北高飯野川高】
震災当時、まだ3~4年生だった彼女達がもー来年には高校生になる。
すっかり心も大人になって、みんな穏やかな顔になってるように感じました。
参加したメンバーの所感です。
「3月の法要以来の支援活動に参加して、感じたことです。
以前に会ったことのある子ども達が、大きくなって成長をしている姿に、改めて年月の流れを感じました。
また水浜の復興住宅が完成をして、水浜の方々が地元に戻られたことは良かったと思いますし、戻れて良かったと言う声が聞けました。
その一方では、まだ復興住宅の基礎を作っている現場を通り過ぎた時、工事の遅れを感じ、まだ仮設住宅で生活を余儀なくされている方々は、どんな思いでいるのかと言う事が思い浮かびました。
改めて年月の流れの早さと、中々進まない現実を感じた支援活動でした」
熊本地震ボランティア活動報告
【投稿日:2016年06月23日|カテゴリ:お知らせ】
2016年6月14日
御船町スポーツセンター避難所昼食の炊き出し。
震災から2か月、被災者の皆さま大変お疲れの様子。
「野菜が不足です」との声に野菜ラーメンを提供。
同時に、地元の方々(久留米教区坊守)と合同で活動しました。
お疲れのところ、甘い甘いゼンザイを提供。
この日は大変暑かったので、かき氷が大好評でした。
同日 御船町 南田代公民館。
150人ほどが暮らしている山の上にある集落。
ここも被災地です。炊き出しボランティアが来たのははじめてだそうです。
今年は震災のため、お祭りが中止となり、残念そうでした。
かき氷が食べれられたと、とても喜んでくださいました。
6月15日 御船町スポーツセンター避難所夕食の炊き出し。
昨日同様、野菜が不足しているとのことなので、今日はメニューを変えて、野菜たっぷりケンチン汁うどんです。
6月16日 益城町保健福祉センター避難所。ここには300名ほど避難しているそうです。
この日は朝から雨でしたが、まけずに炊き出しラーメンを昼食に出します。
話を聞く限り、まだまだ避難生活が続きそうです。少しでも心が和めばと思います。
避難所で幼い女の子が「また来てね」と言ってくださいました。
こんな一言が、私たちの活動を支えているんだと実感した瞬間でした。
『常総市』の現在
【投稿日:2016年06月23日|カテゴリ:お知らせ】
5月末日、常総市を各地を歩いてみました。
『平成27年関東・東北豪雨』が、茨城県常総市を襲ってからはや8カ月。
常総市は、以前のような雰囲気を取り戻しつつあります。
左が平成27年10月、右が平成28年5月です。
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しかし、ここに住む人々に改めて話を聞いてみると、まだ被害が消えたとはとても言えない状況がわかってきました。
「早い人は去年の11月には、家を修理して入居できた。でも手間取ってしまった人は、いま現在家を建てている人もいるし、中には事情があって避難している公務員住宅からまだ出られない人たちもいる」
「去年から、小さな虫や巻貝が大発生して非常に困っている。特に貝は、浄化槽の中のバクテリアを食べてしまうので、汚物が分解されず、悪臭が立ち込めてしまう」
「コメ作りの機械は全部だめ。一応収穫したが、コメを乾燥させる機械も壊れたから、カントリーエレベーターに全部頼むしかなかった。汚水に浸かったコメは出荷できないけど、一応刈り取らないと後に差し支える」
『被災した町』は消えつつあるけれど、『被災した人』は、今現在もそこに生きている。
半日、常総市を歩いて感じたことでした。私たちはその「人」と「人」をつなぐ活動を、これからも続けていこうと思っています。